9/7 16:30 羽田着

台風18号が接近する直前に予定通りの飛行機が那覇に降り、
台風18号の暴風域に入る頃は予定通りに沖縄に滞在し、
台風18号が離れた直後に予定通りの飛行機で羽田に戻ってきた。

果たして
運が良かったのか
運が悪かったのか

    
  
  
9/8 夏休み最終日

スタバで半日過ごした後に、marbleにW杯予選を観戦しに行った。
ツメが甘い。
 

 

9/9 六本木 in 島歌楽園

前述したミュージシャン(ターシ)に会いに行く。
またまた、泡盛(古酒)だった。。。
9/6 19:30 和の市(LIVE居酒屋)

沖縄初日に見つけていた音楽が流れてくるお店。ここなら楽しめる気がしていた。
20:00から23:00まで音楽の3ステージを楽しみながら沖縄料理を楽しめる。
立地条件的にも、お店で仕事をしている現地人と食事をする観光客しかいない様子。
そんな中、ライブをするミュージシャンにこれは初めてと言わしめる盛り上がりを見せた。
東京から来た20代半ばの輩5人と隣にいた長野から来たカップルの協力があったからだ。

入店して店の奥に通された5人は、食事をしながら静かにライブの開始を待っていた。
しかし、左隣のテーブルのお客さんには多少なりとも違和感を感じていた。
比較的年齢層の高い現地人が泡盛のみを楽しみながら時間を過ごしていた。
そして、2ステージ目からこの中の一人がギターを持ってステージに上がるのであった。

別グループの1ステージ目の間に、この左隣テーブルのおっちゃんだけではなく、
右隣テーブルにいた方言が特徴的なカップルともコミュニケーションも完了していた。
2ステージ目には、鳴り物を持って店の奥で大フィーバー。歌声をかき消さんばかり。
観光客の小グループが集まったよそよそしい店内を1つに纏める起爆剤になった。

埼玉から来た同世代の男4人組み、千葉から来た男1人女6人の謎の団体、、、etc
店内にいた人間の全員が全ての曲に一喜一憂できる雰囲気がそこには出来上がった。
まるで、有名な歌手のライブに来ているかのよう。本人も気持ちよかったに違いない。
事実、ステージ終了後には、感謝の言葉を掛けられる事になった。
(翌々日に開かれた六本木での彼のステージも誘われて行ってみた。)

閉店により、荒らしきった店内を追い出された男達は興奮冷めやらず次へ。
しかし、なぜかホテル近くのダーツバー。素直に楽しんでホテルに戻る。
そこからが問題である。。。

大学時代の悪い癖があった。
楽しかったら、寝ない、寝かさない、諦めない。
とりあえず、朝の5時まで一人の部屋でビールを飲み続けた。




9/7 5:30 レンタカーEdix

前日にレンタカーを24時間で選択していた為、早朝から車を出すことができる。
着いたのは、2日目に立ち寄って放送で怒られたアラハビーチというビーチ。
既に3人組の家族連れが海岸にいた。服を着たまま足だけつけて海を楽しんでいた。

おれらは・・・ もちろん海パンをはいていた。一斉に海に向かってダイブ。
酔っ払って足元がおぼつかない状況にタックルをしあって楽しむこと、5分間、、、
朝とは言え、風が強くて明らかに寒い空からまたもや放送が聞こえてきた。
「「本日は遊泳禁止。直ちに去れ。」」

帰り道の記憶は何もない。覚えているのは、1時間半しか寝れないと覚悟した事だけ。
ホテルに到着してから1時間半後、通らないのどに朝食を流し込んだ。
酔い覚ましの為にシャワーも浴びたが、眠気より酔い気が強いまま帰路についた。

長崎まで進んでいた台風18号のこの3日間の影響で那覇空港は人ゴミであふれていた。
スケジュール通りの便に乗れる自分達は人ごみをすり抜け飛行機に搭乗した。
他便の緊急着陸や航空自衛隊の訓練によって1時間以上も長く座らされた帰りの便では、
疲れ切っているのに完全に眠りに就くことは出来なかった。未だ酔っているせいだった。
9/6 11:00 OKINAWA文化屋雑貨店

前日よりも一時間はやく行動開始。お土産を求めるなら国際通りなんであろう。
多量の沖縄限定の耳かきを購入。モデルはシーサーやゴーヤや沖縄キューピーなど。
お土産で耳かきは間違いなく喜ばれる。自分では買う気が起こらないものだから。

買い物の最中にちゅら海水族館が15時から17時半まで開館すると情報入手していた。
本島北部にある本部という場所にある水族館へ行くにはやはりレンタカー。
カーナビ情報では16時到着予定だった道のりには大きな障害が待ち受けていた。
「「高速道路の通行止め」」 

中部で高速下りたEdixのカーナビは残酷な時間を表示した。到着予定時刻は17時半。
閉館時間の到着ではUターンを決意せざるをえなかった。ジンベイザメくんさよなら。

台風で茶色になった海に呆れつつ、帰路の途中で沖縄ガラス作り体験をすることにした。
見よう見まねで自分オリジナルのガラスを作らさせてもらえるというよりは、
その道の職人の側にいて言われるがままに簡単な作業をさせてもらうという感じ。
しかし、そのお陰で、家には自分で作ったとは思えない綺麗なガラスが届くに違いない。
そして、潮が満ちてくるビーチとは決していえない海岸で海を見てホテルに戻る。




9/6 19:00 国際通り

雨はやみ始めていたが、風は相変わらず尋常ではなかった。
沖縄で最後の夜は盛り上がりをしたく、気になっているお店を目指した。
9/5 11:30 レンタカーCUBE

ダイビング中止の失意の中での二度寝を済ませた男どもはレンタカーを借りた。
沖縄の海の中で海人になれないなら、沖縄の島の中で島人になればよい。
まずは、強風で折れた枝に埋もれた道路を第一牧志公設市場へと向かった。
商店街の入り方がわからず迷った末に入ったその市場は閑散としていた。
1Fのお店は大半が閉まっていた。市場の外のお店は殆どが閉まっていたほどだった。

2Fの食堂街で悩んだ挙句、沖縄コース料理が1000円という「きらく」という食堂を選んだ。
次々と運ばれてくる沖縄料理のボリュームと美味しさに舌鼓を打つ事ができた。
最後に来た別注文で頼んだ伊勢海老の刺身が来た頃には満足を通り過ぎている頃。
1Fで様々な海鮮類を見学した後、お土産をそれぞれ購入し、満足の足で市場を去った。

特に理由はない。車はとりあえず北を向かった。那覇は南部だから北に行こうと。
嘉手納の辺りか、観覧車のあるアメリカンビレッジに目を引かれて立ち寄った。
そこのすぐ近くには待望の海があった。強風の為、誰もいないビーチが迎えてくれた。
意味もわからず喜んで駆け寄る男たちは、大きなボリュームで流れてくる放送に驚く。
「「強風の為、立ち入り禁止。今すぐ立ち去れ。」」

確かにビーチを守る防波堤の外では、明からに高すぎる大波が暴れていた。
後から知ったことだが、台風はこの時にちょうどこの付近に直撃していたらしい。

意味もわからず落ち込んだ男達は、北を諦め、南を目指すことにした。
本島の最南部には、ひめゆりの塔や平和記念公園という観光名所が揃っている。
レンタカーを6時に返却予定としている為にそちらを攻めるのが都合よかった。
ものの見事になぎ倒されているサトウキビ畑を見ながら海岸沿いの田舎道を走った。
もうこの辺になると車も走っていない。これに疑問を抱くべきだったのかもしれない。

何も危惧せずに到着したその各名所は全て閉園していた。遠巻きに記念撮影を終える。
しかし、逆境に強い輩の火がつく。一組いた外人のグループに驚かれるはしゃぎっぷり。
疲れて満足した帰路の途中にレンタカーを返却し、ホテルに戻ってひと息つく。
夜は強風ですぐに傘をやられて、雨に打たれながら近くの焼肉屋で泡盛を楽しむ。



 
9/6 7:00 ホテルの食堂

早々にダイビングの中止を知らされた。
台風が通過したことによるダイビング敢行を期待していたがムダに終わった。
9/4 那覇着 16:35

明らかに風が普通ではなかった。ソラは曇っていた。
台風18号が沖縄本島の150km先に迫っていたから。
ダイビングを敢行できないのをうすうす気付いていた。

空港からホテルに向かうタクシーの中でテンションが危なかった。
建物や食べ物についての若造達の質問に対して無愛想な態度。
そんなタクシードライバーの影響でこれ以上に下げるわけにはいかない。
晴れてるうちに観光をとホテルに到着後すぐにモノレールに乗った。
モノレールの中で無理やりにテンション上げきった俺らは首里に到着。
首里城に向かう途中の公園の警備員には首里城の閉園を聞かされる。
ここまで凹まされるこっちのもの。首里城公園で大暴れ。大盛り上がり。
逆境に強いって素晴らしい。

夕方から雨が降り出し始めた帰路は食事の為に国際通りへ直行。
ライセンス取得の為に来ている新たな男2人と合流する。
Stand by me が聞こえてくる賑やかな居酒屋を横目に別の店へ。
ラフティーからイラブチャーまで多種多様の料理を楽しむ。
青唐辛子のような強烈な辛さに泡盛が進み見事に酔っ払う。

ホテルに帰ってからもシングルルームで男5人で夜中までビール。
翌日からの予定されているダイビングに淡い期待を寄せて解散。
 
 
 
9/5 7:05 ホテルのシングルベット
 
ダイビングショップから電話があるはずだった。
5分ほど寝過ごした俺の分は別の奴に言付けがあった。
「今日は中止です。可能性が低いですが翌朝も連絡します。」
朝食の食堂にあるテレビからは台風15号の直撃予報が流れてきた。
テロップには沖縄の主要スポットの閉館や運休が流れ続けていた。

go by air

2004年9月4日 旅行
OKINAWA

大学3年生の頃から毎年海外旅行を欠かさなかった。

自分のウップンを晴らしてストレス解消をしたい。
自分の知らない世界に飛び込んで刺激を受けたい。
自分の非力さを知って自分に鞭を打ちたい。

今年の夏もギリギリまで海外旅行に行くか悩んでいた。
海外でも2年前から南国に行くことを決めていた。
アドバンスドウォーターまで取ったライセンスを活かす為に。

しかし、色々な経緯から今年は国内の沖縄にすることにした。
観測史上最大級が待つ台風18号が待ち受ける南国へ発った。
マンタとの遭遇の期待に胸躍る男3人を乗せた飛行機が。

9/4 羽田発 14:30 

adversity "逆境"

2004年3月26日 旅行
 





 


苗場

この時期のボードに対し苗場を選んだ理由は、
前日でのゲレンデ天気予報、積雪情報、バスの発着時間。
しかし、積雪200cmあるはずの雪はガチガチに凍っており、
山頂付近はガリガリという音しか聞こえなかった。
その中で、ナント昼過ぎから吹雪に襲われ始め、
決して春スキーとは思えない環境になってしまった。
そんな中でもボードを楽しめる俺は平気だったのだが、
一緒に来たツレが・・・。 

Parkでワンメイクの練習にふける予定であったが、
グランドでトリックの修正をひたすらやってた。
苦手なバックリフトも少し安定させられたからヨシとしよう。 
しかし、グーフィーでのバックリフトとなると、、ダメだこりゃ。
練習あるのみ!!   
 

話は変わって、チョーさんの追悼番組があまりにも暗すぎる。。
ひょうきん族ではなく、ドリフ派の俺だってそりゃショックだよ。
でも、
「なんで、死ぬんだよ。悲しいよ。帰ってきてよ。」ってより、
「あー、いい人だった!社会への貢献が素晴らしかった!」って
方が良いと思う。
本人も絶対その方が嬉しいよ。
 
  
この不景気の日本社会では何事も後向きすぎる。
景気を取り戻したいなら、もっと明るくいこーぜ!! 
  

a luxury "贅沢品"

2004年2月29日 旅行
 
 
 
  
 
 
大学友達の知り合いが持つ別荘に毎冬お世話になっている。
今日までこれで6年目となる湯沢の岩原スキー場に行ってきた。
今年は大学院生5名と社会人5名の10名の参加した。
年休を取れず木曜の夜に行けなかった俺は金曜夜に高崎線乗車。
高崎から行く同じ感じの友達の車に乗っけてもらう為に乗った
この1時間半の高崎線が何よりも辛かった。。。混んでるし。

金曜中に到着し、土曜は朝からナイターまで滑って終わりにした。
日曜はだらだらゲームやら温泉で過し夕方前に帰路についた。

別荘というのはリゾートマンションなのだがこれがまた格別。
温泉やプールが完備され売店やレストランまで営業されている。
ゲレンデのそばに位置し好きな時に滑って飽きたら帰ってくる。
何よりも一番なのが家そのものだから自分の時間が流れている。
好きな時間にチェックインしチェックアウト。
スケジュールにあわせて好きな時間にご飯を食べればいい。 
但し、外に行かない限り自炊になってしまうのだけネックかな。
 
 
一度利用するとこの手軽さにヤミツキになってしまう。
そんなリゾートマンションのバブルも弾けてしまい安いらしい。
当時の何分の1かまでは知らないが今や3百万で買えるそうな。
月々の管理費もこの大人数で割れば楽勝だろうと考えられる。

皆で共同購入の話が持ち上がっているが実現するのだろうか。。。  
 
個人的には採算など計算せずに買ってしまいたいと思っている。
所詮、別荘なんて贅沢品なのだから。
 
 
 
金曜から有休をとって野沢温泉に行った

快晴で日曜以外は快晴で物凄く気持ちよかった

高校1年以来のスカイラインからの景色は圧巻

あまり覚えてないけど何も変わってなさそうな感じ

あの温泉街の宿のしょぼさもあまり変わってなかった・・・
 
 
 
新しく買い換えたボードとブーツをマスターするのが目的

三日間レギュラーを我慢してグーフィーの猛特訓

レギュラーからのノーリーフロントリフトもぎこちない

レギュラーに追いつくどころか明らかに後退してるし・・・
 
 
 
2.5日滑っただけでかかとについたアザが3日間残っている

靴ズレ、、、6年間やってってここまでひどいのは初めて

大金を叩いたブーツが全然あってないんじゃん・・・ 

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