a sense of happiness "幸福感"
2007年1月6日九州一旅・四日目
10:00 とよのくに(From:別府、To:博多)
今日も早めに起きることができた。やはり旅行の魔力はすごい。
昨年末から寝不足が続いているにも関わらず、少しでも寝たいという気持ちがおきない。
毎日が旅行であればと思うが、もしこれ自体が仕事となってしまうと、話は別になり、
このテンションを保つことはできないのだろうと、自分の弱さに嘆き悲しむ。
離れゆく別府の感想はというと、さびれているのか栄えているのかよくわからない印象。
駅前には大きめのヤマダ電機が立ちはだかり、短いが歓楽街が海岸へ向けて並んでいる。
しかし、海岸沿いにある温泉ホテルはどこも古びている。
中には、俺が宿泊したはやしを通り越して、閉館している旅館も多少見受けられた。
何十年か前に日本を駆け巡ったと聞く温泉ブームに乗っていた、面影が残っているだけ。
ただ、大分や福岡からの交通の便はさほど悪くない為、過疎化は酷くなさそうだった。
駅前には新しめのマンションもあり、大学生くらいの年齢層の若者も夜の別府にはいた。
近くに別府大学という大学があり、輸入も少しは実現しているのだろうか。
ただ、勝手な意見だが、ここからの急激な繁栄も近い将来は期待できない気がした。
駅前で温泉も海も楽しめ、源泉も近くに複数箇所あるというのは、なかなかの環境だ。
数年間このまま程よく、地元民にも、中国・韓国の観光客にも愛される街でいるだろう。
さて、先日からの天気予報通り、今日は天候が大荒れらしい。
今バスが福岡へ向けて走る高速道路の周辺も霧と雨で真っ白でよく周りが見えない。
今晩になると博多でも雪が降るらしいが、佐賀はどうなのだろうか?
雪化粧を施した吉野ヶ里遺跡も見てみたいが、交通手段がなくなるのを避けたいので、
予定通り、今日行ってしまおうと思っている。
JRをなめてはいけない。
これが国内旅行をする際の鉄則だ。
余談となるが、初日に指宿で味わった砂むしに似たことが別府でもできると知った。
別府の海岸を歩いてみたが、そのような環境はなかったので、夏だけなのだろうか。
逆に指宿に行く必要があったのだと少し安心した。
16:50 JR鹿児島本線普通電車門司港行き(From:鳥栖、To:博多)
今は吉野ヶ里遺跡の観光を終え、宿泊地の博多に戻るところである。
吉野ヶ里公園駅で目的の電車に乗れたものの、鳥栖での乗り換えを間違えてしまった。
快速電車に乗るつもりが、寒さのあまりその前の普通電車に飛び乗ってしまった。
乗換案内で調べてみると、二日市駅で連絡するそうだ。
寒さを凌げたということで結果オーライか。博多までも座れることを祈ろう。
朝の高速バスの後の続きを書くと、博多には予定より10分ほど遅れて10:38に着いた。
決心の通り、まずは吉野ヶ里遺跡に行くのだが、事前に調べておいたところによると、
10:47の博多発の電車に乗れば乗り継ぎがよいとわかっていた。
その為には、残り9分で、背負っているリュックをコインロッカーに預けるや否や、
博多駅の電車が到着するホームまで移動しなけらばならい。
バス停留所の博多交通バスセンターのコインロッカーはガラ空きなのを確認しつつ、
出来るだけ近い博多駅構内のロッカーに預けたいと欲を出してしまったのが過ちだった。
博多駅でもバスセンターから一番近い外側コインロッカーなら唯一1つだけ空いていた。
しかし、今日の宿は全く反対側の出口である。この様子を見てやばいと思いながらも、
ここでは意味がないと、博多駅改札付近の人ごみの中へとチャレンジした。
あせる気持ちを鼻だけで笑うかのように、改札付近のロッカーは全て口を閉じていた。
空いている場所を見つけたのは、さっきと正反対の場所の駅外側コインロッカーだった。
ホテルには近づいたので結果オーライと自分を慰めつつも、腕時計は46分を指していた。
あと1分!
身軽になった勢いで券売機まで急行し、ひとまず最短区間160円のみの切符を購入する。
しかし、そこで足を止まらざるを得なかった。
時計は47分。
電車の乗り場を示す電光掲示板には49分以降の電車しか表示されていない。
勝手知ったる駅なら、来ているはずのホームを駆け上がるのだが、ここは九州である。
意気消沈の末、携帯のブラウザを通して乗換案内が次に教えてくれたのは、次の快速が
来るのは20分後で、さらに乗り換える鳥栖駅で23分も待たされるという内容だった。
特急利用も考えたが、二倍の乗車料金を払うのはアホらしいと頭の中のケチ魔さんが
ささやく。ケチ魔に素直に従い、鳥栖駅で23分を待った。
少し嬉しかったのは鳥栖駅の目の前に鳥栖スタジアムがあったことである。
サガン鳥栖がJ2とは言え、Jリーグのホームスタジアムが駅前にあるなんて羨ましい。
意味もなくホームから写真を撮り、かしわめしという駅弁を食べながら寒さを凌いだ。
乗換案内通りの電車に乗り、小雨と強風が急にあったり止んだりする変な天候の中、
吉野ヶ里遺跡のある吉野ヶ里公園入口には14時半ころに着いた。
400円の入場料金を支払って、17時に閉まってしまう予定のゲートを潜った。
復元された弥生時代の建造物や遺跡跡の数の多さににも当然驚かされたが、
それ以上にこれらを収容する敷地の広大さは想像以上であった。
王家を祭る最北の高台から、最南の池や遊戯施設は、薄っすらと見える程度。
ガイドブックには、とにかく広いので3〜4時間は必要と書かれていたのに納得した。
さらに今は、東側に集落と、北側に古代森の復元して拡大中である、どうなることやら。
こういう意味では、初日に行った橋牟礼川遺跡とは雲泥の差だった。
来たかいがあったという実感にも背中を押され、歴史が好きだった少年時代の好奇心が
無邪気に蘇り、雨と突風の中で、無計画な観光と写真撮影に夢中だった。
お陰で、デジカメのバッテリー残量と電車の待ち時間に問題が生じた。
観光が半分も過ぎた頃にはバッテリー残量が残りわずかの赤マークが点灯し始め、
終盤は、1Shot毎にバッテリー切れ、電源を落しては立ち上げる繰り返しだった。
最後に人お願いした記念撮影では、撮影後のデータ保存中に電源が落ちる始末。
かなり苦戦を強いられた。
また、時間は17時まで滞在する予定も、16時すぎには広大な敷地を周り終えていた。
全体的にもう少しゆっくり周ればよかったと後悔しつつも、ここ数日の足の疲労を考え、
観光を続けるのは控えた。
お土産屋さんでの時間潰しが困難であることを確認し、今日は何度もお世話になっている
乗換案内と帰りの時間を相談した。
予定通り17時まで滞在した場合は17:25発の電車のつもりだったが、その一本前となると、
16:35発と表示された。現在の時刻は16:26。駅までは約1kmの距離。。
覚悟を決め、今日は時間によくイジメられる日だと嘆きながら、早足で駅への道を辿った。
足の疲労を考えて帰るはずなのに、酷使している事への疑問感を抱きつつも。
そして、無事に電車に乗れるも、鳥栖駅で間違えて今この電車に乗車した次第だ…。
さて、こんな云々よりも大切なこと。遺跡で感じた事を少しでも記しておきたいと思う。
この弥生時代の人々にも既に明確な職業があったと記されていた。
集落を統治する王から始まり、司祭、仕官、兵士、職人、農民。
どうのように職業が決められたのかはわからないが、彼らは彼らの仕事を全うした。
全ては王(=集落)のために。自分達がより良い生活が過ごし続けることが出来るからだ。
この頃の人々に転職などの概念はあったのだろうか。
それに近いことを実現した歴史上の人物ですぐに思いつくのは豊臣秀吉だろうか。
彼については有名だが、農家の家に生まれるも武家を志し、織田信長の小僧として使え、
足軽から武将、頭領、一国の主、関白にまるまでの夢を果たした。
平成の今はITの発達で頭領(企業の社長)くらいは誰でも夢を見れるが、
豊臣秀吉が生きた安土桃山時代では出世街道を登る様な事例は特例のはずだ。
ましてや、弥生時代なんて、紙幣や硬貨などの価値を表現・把握するものはなく、
稲穂の数でその集落の生活が決まってしまう共産主義だろう。
(歴史的文献を読んだわけでもないので保証できないが・・)
弥生時代の人々は生きる喜びをよく理解し、それを続ける事が許される為に、
毎年の豊作と集落の安全だけを願って、各自の役割を全うしてたのではないだろうか。
彼らの願いを実現させなければいけない王は、司祭を通じて知る神のお告げを元に、
判断を下す仕事だ。
裏を返せば、神を憑依させる司祭なら、恐らく如何様にもでも出来きたのだろうと思う。
ある民の生活も当然の事ながら、王を生かすか殺すかさえも。
それほど従順な精神で形成された世界だったのではないだろうか。
ココに少しヒントがある気がした。
そもそも、人はなんの為に働いているのか。
生きる為だろう。
生きるとはなんだろうか。
欲を言えば、「幸せに暮らす」だろう。
この「幸せに暮らす」はその人の価値観で大きく異なってくる。
制限なく贅沢ができる生活、一般的な生活水準の生活、その日暮し、一文なしでも
名声だけがあれば良い生活、と満足できる生活は人それぞれである。
それでは、おれはどんな幸せを願うのだろうか。
情けないことにわかっていない。
それをまずはハッキリさせないと、と情けない自分の唇をかんでみる。
1:00 アンカーホテル福岡
博多といえば、まずラーメンである。
18時には吉野ヶ里から博多に戻り、駅近くのこのホテルにチェックインを済ませていた。
ホテルのインターネットモデムを借りて高速化できたものの、ラーメン調査に一時間を、
費やした後、腹ごなしを兼ねて天神・中洲川端地区を観光しつつ、ラーメン屋をはしご。
時折、雹に姿を変える雪を全身に受けながら、東京・大阪にも引けを取らないほどの
聳え立つビル群に、人口密度の高い地下街、ネオン華やかな繁華街の中をぶらぶらと
’またもや’彷徨った。この3,4日でいったい何時間歩き続けたのだろうか。
実は本当はもつ鍋も食べたかったのだが、相変わらずヘタレのおれだった。。。
屋台では、長蛇の列が少なくなるタイミングを見計らって、一人でそっと滑り込み、
ラーメンをサッと食べ、そそくさと帰る。
今はこれしか出来なかった自分を嘆きながら日記を書いているところだ。
彷徨う中で、上司達が口を揃えて絶賛する中洲の風俗街も、意を決して歩いてみた。
雪振る外に飛び出し声を掛けてくる黒ずくめのイカツイおっさんや、突然暗闇の店から
顔だけを出して怪しげな誘い文句を発するおばちゃん達に本当に驚かされたが、
第一の印象は、エリアがさほど大きくないという事だった。
ヘッドホンをしながらの早歩きだったが、ものの1,2分程度で歩き抜けたものだった。
歩き抜けた後、こんな小さなエリアが大絶賛を受けるとは、どれほどの内容が繰り広げ
られているのか気になり、電飾も控えめでこじんまりと集まるテナント群を振り返った。
当然、ちゃんとその目的を持った老若を問わないツワモノどもが行き交っていた。
聞いた話によると、この業界でもグループ会社があるらしく、全国展開しているほどの
企業もあるらしい。
こんなに競争相手が乱立し、違法だの何だのと摘発を受けるような裏技も横行する業界で、
それほどまで大きくする為には、非凡な発想力と、正しいビジネス手腕が社長に必要なはずだ。
つまり、こういう人は一般的(?)な企業の社長も十分に勤められるだろうと思う。
経験がない風俗だが、ビジネスの仕方は勉強しても面白そうだと思った一夜だった。
風俗で働く女性も、色々な事情があるだろう。前述の内容に少し振り返る事になるが、
単に幸せな生活をする為にやる一つの職業だと考えている人もいるかもしれない。
例えば、旅行がしたいとか、ブランドで着飾りたいからとか。
男女の性欲が同一ではない以上はビジネスとして成り立つわけで、性に対する倫理観が
あるがゆえに偏見を持たれがちであるが、極論を言ってしまえば接客業の一種であり、
対象として興奮状態に陥った限定された男性へのサービスとしてこの職が存在する。
この職業を担う事が、幸福な生活を過ごしている、もしくは過ごせるようになる為なら、
悪いわけがない。だれにも責める権利はない、と俺は感じる。行ったこともないが。
そういえば、肝心のラーメンはというと、
友達に教えてもらったSHIN-SHINというお店と、中洲にある一竜という屋台に行った。
ともに同じ感じのザ・とんこつらーめんで美味しいとは思ったが、SHIN-SHINの方が、
後味をあっさりめに仕上げていて、なかなかいいラーメンだと思った。
今日は最後の夜なので、ホテルに一人で寂しいが、お酒を飲んでから寝るとしようか。
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