The Second Period On Monday

2003年5月29日
個人フットサルはほぼ決定!
どうやら溝の口にしそうである。
明日、会社でキムを誘ってみよ♪

 
 ちょっと思い出してみよう。

本来からサッカー小僧であった、俺がフットサルに燃えたのは大学1年の時。スラムダンクの影響で高校の時にバスケに浮気をしたものの、
大して上手くもないのに根っからのサッカーバカであった。

5年前の大学1年の後期にあたるとある月曜だった。
駅から大学までの一本道を歩いていると、前に見慣れた後姿がいた。走りよって「トネっ!」と声を掛けてみると、やはり同じクラスの彼だった。振り返った彼は、得意げに持っているナイロンの袋を掲げた。

「サッカーボール!」

彼が自慢げに語ったのは、
自宅の浦和はサッカー狂の街であり、至る所でサッカーをやっている。必然的に街にはサッカーボールが転がっており、持ち主のわからないボールも少なくない。そこで、一個貰って来たとの事。

俺はサッカーができることが嬉しかった。
大学に入ってスノボのサークルとバスケのサークルに入った。バスケは1回しか行かなかった。遊びでやっていたレベルでは通用しなかったのが一番の原因である。コンスタントに体を動かしたくなるスポーツ好きにとって、目的を果たすツールを手に入れた事になったのである。

その日の2限目の「線形代数」の授業であった。
相変わらずわからない内容に皆で首をかしげながら、サッカーをしようという話になった。

「しかも、今すぐに!」

意気投合した10名ほどは、教授の目など気にせずに、すぐに教室を抜け出し、体育館へと向かった。運のいい事に、月曜2限に体育の授業は入っていなかった。体育館の1/3をフィールドにし、入り口のドアをゴールに見立てて、無邪気にボールを蹴り合った。

これが、「月曜2限」の始まりであった。

更に、この輩どものサッカー熱に火をつける出来事があった。それは、学校のある団体が主催した「学内サッカー大会」である。食堂の前の掲示板を眺め、即申し込んだ。参加費500円。チーム名は、「月曜2限」。

この時、俺がつけたこの名前で、4年間この大会に出続けることとなった。

1年目:2回戦負け
2年目:準決勝負け
3年目:3回戦負け
4年目:1回戦負け

1年目は、偶然にも同じクラスの2チームが一回戦であたることになった。この2チームから、月曜2限のメンバーが構成されることとなった。

2年目は、俺が大爆発のハットトリック!(但し、オウンゴール含む)。これで勢いに乗り、今大会で最後だったGK佐藤の活躍もあり、奇跡的に準決勝へと駒を進める。しかし、準決勝の舞台で人が集まらないというありえない事態。結局1人少ない状態で善戦するも、2対3で敗退する。俺の人生最高のヘッドがあったのだが。。これが月曜2限最高の結果となる。

3年目は、1回戦で俺は前歯を折られて退場。。俺は以後欠場で、2回戦は何とか競り勝つも、次で負けてしまった。

4年目は、5、6点取られて大敗したらしい。俺はカラオケのバイト中の出来事で、メールが来たときはショックを隠しきれなかった。

「有終の美」は飾れなかった。

しかし、経験者が半分以下のチームにしてはよくやったものだ。休止期間もあったが、曜日を変える等して、この大会を目標に、4年間もフットサルをし続けた。


大学も卒業して、8月に試合があった。名古屋研修中の俺は横浜金沢文庫まで駆けつけた。5ヶ月ぶりにとは思えないコンビネーションがそこにはまだあった。おうきが「毎月やろう」と言ったが、俺は冗談じゃないと思った。そう、この時は。
俺が東京に戻ってきてから、11月にも一度試合をお行った。そして、これまたこのメンバーで毎年行っている、今年の1月の湯沢合宿(スノボ)で火がついた。

「大会に出よう!」

まのっちが言った。これに台風を巻き起こす存在の俺が乗っかった。「じゃあ、本当に毎月やろう!」。そして、皆を巻き込み再結成されたのであった。そして、2月から月に一度の「月曜2限」が開かれている。
 
  
 「月曜2限」がいつまでも続く事を祈っている。

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